※この記事は「僕のヒーローアカデミア No.226 恋の血」のネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。
ヒミコちゃんが中学時代恋したお相手の名前は「斉藤くん」。至って普通の苗字でモブらしさが強調されてます。
容姿はデク似だけど「皆から人気あって」って部分はスクールカースト最底辺だったデクさんとは対照的だ。こうなると次は斉藤くんの"個性"の有無が気になってくるぜ。
ヒミコちゃんの名前であろう部分の黒い塗り潰しは未成年だから氏名は報道されなかったことの表現か。個人情報が守られてることは死柄木との初対面時に義爛も言ってましたね。
ただ事件自体は話題になったから、記者の気月が本気出して調べれば彼女の特定まではできてもおかしくないと。
斉藤くんの血を吸うヒミコちゃんの表情は確かに悍ましい…。合宿編でのお茶子との対戦時にもキマった顔してたけど今回はそれ以上です。
こうしてガンギマってるとまるで麻薬かドラッグでもキメてるように見えるよ!!これ目撃した同級生の子はトラウマになっててもおかしくねーよな…。
しかしその一方で、これが漸くヒミコちゃんが周囲の抑圧から解放された時の表情だと思うと哀しくも見えます。
この欲望を彼女はこれまで必死に抑えてきたと思うと決して単なるサイコという言葉では片付けられない。
傷害自体は当然赦される行為じゃないけど何かこう、やるせねえ…。
そんで一番ビビったのがご両親の肉声。取材したってあれマジだったんかい!前回はイマイチ実感湧きませんでしたが、こうして声だけでも示されるとその存在を認めざるを得ない。
ここで初めてヒミコちゃんのことをヴィランではなく、一人の未来のある筈だった子供として見られました。
この映像は事件当時に気月が取材して撮ったものなんでしょうか。つまり「トガヒミコ」が敵連合の一員として世間に知られる前から、気月は「渡我被身子」については知ってたのね。
この事件が起こった時点で気月はヒミコちゃんに強い関心を抱いてた訳か。ふーむ、ますます変態クサい…。
「"個性"カウンセリング」はそういうのもあるのかと興味深いです。
全世界で"個性"なるものが発現したら臨床心理にもそれに合わせた分野が生まれるのは自然だよなーと。現実の延長線上にある療法という実感があります。
いずれカウンセラーのネームドが登場する前振りとも受け取れる。
ただなぁ…。ヒミコちゃんみたいな子にとってはやっぱり矯正でしかないよこれ。もっとヒドく言えば洗脳。
勿論この方法で救われた人も沢山いるんでしょう。でもそれならこの方法で救われなかった者は誰に救いを求めればいいのか、そう問いを突きつけられてるような気分になるんです。
本作において身近なものへの憧れはこれまで自然な感情として描かれてきたので、ヒミコちゃんが血に興味を惹かれたのは納得です。
興味の向く対象がたまたま"個性"の影響で他の子と違っただけで、何かに興味を向ける気持ち自体は彼女も他の子と何ら変わらないのだとここで理解できた。
ご両親は苦労してきたんだろうし悪い人には見えませんが、幼い子供に親の「普通に生きてよ……!!」は枷でしかないよな…。現実でも子供が言われ得る言葉なのがまた辛い。
前回のヒミコちゃんの「普通の暮らしってなんですか?」はこの時からずっと答えを探し求めてた問いだった訳だ。
特に「笑っちまって臨むんだ!!」「笑ってる奴が一番強い」とこれまで作中で肯定されてきた笑顔が、ヒミコちゃんは「不気味」「異常者」と否定されてるのがクッソ辛いんですよ。
幼い子供が親にンなこと言われたら、ここは自分の居場所じゃないと感じてしまってもしょうがないだろ…と。
「キュリオスパンク」はどんな仕組みで爆発を起こしてるのか気になるところですが、まあ今は脇に置いておいていいでしょう。テンポ削がないためにここで説明入れないのは妥当な判断。
欲を言えば単行本のおまけページとかで解説してほしいけどな!堀越先生なら期待は充分にできる。
気月は異能="個性"を抑えることの苦しみを理解してるし、ならその解放も簡単に否定できるものではないのかもしれない。
けどそのためにヒミコちゃんを体のいい生贄にしようとしてる時点でやはり許せぬ。オメーら結局自分たちのこと以外考えてないだろと。ここ本気でムカッ腹立った。
勿論ヒミコちゃんの方も罪は犯してます。その報いを受ける必要はあるでしょう。
が、だからと言ってそれが殺された挙句、死を勝手な主張に利用されることであっていいワケないんですよ。例えその主張に一定の正当性があったとしても。
それを分かってないのがこのオバハンほんまムカつく。
「嬉しい時にはニッコリ笑うの」「あなた達が好きな人にキスするように」はポエミーでアニメ化したらBGMにはピアノが流れそうな雰囲気。
そんで「私は好きな人の血を啜るの」と思いながらお茶子の血で変身してると、何ていうかその、ちょっと百合の波動を感じてしまうのですが…!?
やーでも真面目な話、お茶子とヒミコちゃんの対比と見るとここもまた辛く感じるシーンだよなぁ…。
誰かを傷つけなくとも好きな人のようにと目標に向かえるお茶子と、好きな人のようになるためには相手の肉体を傷つけなきゃいけないヒミコちゃん。この違いを嫌でも意識してしまう。
憧れの人のようになるためにその人の真似をするのは本作においてお約束の行為なのに、ヒミコちゃんだけそこに他人を傷つける業を背負わされてるのが悲劇的すぎるというか。
なおデクさんの憧れの人が彼に真似されて傷ついたのは肉体じゃなくて精神だからセーフ。いや誰とは言わんが。
無重力をヒミコちゃんが使えるようになったのは唐突すぎて驚いたんですが、突然"個性"が覚醒した壊理ちゃんの例もあるしそんなにご都合とは感じないかな。
気月が徐々に浮かんで異変が示される演出に惹き込まれたのもあって、ここは素直にヒミコちゃんが窮地を脱したことを喜べました。
それより気になったのが物間くんの存在。まず他人の"個性"のコピーという点で被り、その上あちらは姿まで変えられるとかもう完全にお株奪われてるよね!!
ヒミコちゃんの変身時間は血の摂取量によるので、"個性"の使用時間が5分のみで変動しない彼はその点でも上を行かれてしまう。
前向きに捉えるなら他人の"個性"で人を殺したヒミコちゃんに対し、物間くんはその危険を充分に理解して使い熟せてると言えるのかな。
うーん、でもやはりここは物間くんにしかない特性を求めたくなるぜ。ただ彼今のところそこまで重要なポジではないのでその見込み薄いのが辛いですが。
気月たちが落下死するシーンは凄惨すぎて言葉が出てこねぇ…。気月には直前までヘイト溜めてましたが、このあっけなさすぎる死に様を目にした後だとざまぁぁぁぁm9(^Д^)と燥ぐ気すら起きない。
最後までヒミコちゃんを記事にすることに囚われてたのがただただ哀れでしかなかったです。
お茶子の"個性"って殺しに使おうと思えばこんなにあっさり殺せるんだな…と改めて思い知らされたし、体育祭の時に触れられるのを警戒して近づけなかった爆豪の判断はやはり正しかったんだなと。
気月が手元で爆発を起こせる状態だったのも擬似的なお茶子vs爆豪の再現だったんでしょう。
あれだけ周りに解放戦士いて一人くらい気月をキャッチできる"個性"なかったのかよと思われそうですが、個人的にそこは気にならなかったです。
別にいなくてもすごく不自然って程ではないし言ってしまえば気月には運がなかった。ここは展開の力強さに有無を言わさず納得させられました。
「可愛いは正義」の改変である煽りの「カァイイは、悪。」もセンスよくて、久々にこの漫画で単行本収録時にも残してほしいと思ったほどです。
「悪」というワードがヴィランのヒミコちゃんに対しては逆にその生き方を賞賛する言葉になってる。ここは担当さん良い仕事してくれたな…。
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