※この記事は「僕のヒーローアカデミア 劇場版 2人の英雄」のネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。
結論から言うとめちゃくちゃ面白かったです。
【目次】
デク
まずまだ5%しかOFAを扱えないデクにどのように劇場版に相応しい派手な戦闘をさせるかという課題を、フルガントレットというアイテムで解決してきたのが良かった。
発目の開発してきたアイテムを知ってる読者なら3回という回数制限があれば後は詳しい説明はなくとも受け入れられる設定だし、こうすることでメリッサのことも彼女が理想としていたヒーローをサポートするヒーローにすることができる。
シンプルではあるが今回の映画のテーマである『きっと誰もが誰かのヒーロー』をデクとメリッサに体現させる上でピッタリなアイテムだった。
今回のデクの課題は自分がOFAを受け継いだことで失われてしまった平和の象徴としてのオールマイトの代わりに、どのような希望を示せるかといったもので、これは劇場版ではあるが本編にも通じるとても重い課題だった。
この課題をデクに突き付けたのはデヴィットだが、ここで感心したのは彼はオールマイトの"個性"の減退のことは知っていても、それがOFAの譲渡によるものだとは知らないということだ。
デヴィットがウォルフラムに協力した動機を明かしたのはデクとメリッサの前でだが、その目の前にいる少年がオールマイトの"個性"の減退の原因だとはデヴィットには知り得ない。一方で、あの場でOFAのことを知っているデクだけが自分がその原因だと自覚できる。
つまり、デクにだけデヴィットが犯行に手を貸した間接的な原因が自分だと自覚させることで、スムーズに視聴者に今回のデクの課題を提示できるのだ。
デウィットまでOFAの詳細を知っているとあの場全体でそれが課題として挙がってしまい、2人の間で視聴者にとってストレスとなり得る負の感情が発生してしまう。またそれを描写するための尺も必要となるだろう。
そのような描写で勢いを削ぐことを避けるために、あの場でその事実を知るのはデクだけに留めておいたのは正解だったと思う。
博士を攫おうとするウォルフラムに立ち向かう際にもいつもの口の悪さは健在で、ここは爆豪の存在を強調してるようで昂った。
ただ原作でもあった「返せっ!」が聞けたのは嬉しい反面、その対象が爆豪限定ではなくなったのはやや寂しい気持ちにもなった。
そしてクライマックス、デクは師匠であるオールマイトと共にウォルフラムを打ち倒し、見事デヴィットからの課題を乗り越えてみせた。
オールマイトの横を並走し共に『W(ダブル) DETROIT SMASH』叩き込むデクの姿は、すでにオールマイトが力を失った原作ではもう見られないものなので、デクがフルカウルを修得しオールマイトの力が健在の期末試験以後林間合宿以前という時期をよく活かしていたと思う。
また、2人が駆け出す際に流れた『You Say Run』は、アニメ1期のデクがヘドロ敵に飛び出すシーンやUSJでのオールマイトvs脳無、2期の体育祭でのデクvs轟でも流れた名曲で、このBGMが流れ出した瞬間に倒す流れになったと確信できた。
コナンで言うところのメインテーマみたいに、これが流れると解決に入ったと確信できる、勝利確定BGMならぬ救出確定BGMとして定着してくれると嬉しい。
オールマイト
原作で様々なキャラから正負問わず様々な感情を向けられているだけあって、今回も思いっきり話の中心人物だった。
ナイトアイや塚内にはOFAのことを伝えているのにデヴィットには伝えていなかったのは、彼らと違ってデヴィットはヴィランと戦う術を持たない一般人だからなのだろう。
しかしその気遣いが逆にデヴィットを犯罪の加担に走らせてしまったと思うと、つくづく優しさが裏目に出てしまう男だなと思う。
今回の彼の台詞で1番印象的だったのは、デクと共に駆け出す直前の「今の私はほんの少しだけ困っている」だ。これは今回の映画に限らず、原作を含めた今までのオールマイトの台詞の中で1,2位を争う程好きになれた。
今まで人々を救うために1人で全て背負い込んできたオールマイトが、この土壇場で全身怪我だらけの弟子に頼ることができていたのを見て、デクと共に歩んできたことで彼もまた確実に変化したということをこの台詞一つで察することができた。No.1ヒーローでも困っている時は救けを求めていいという、重圧からの解放がオールマイトに与えられた瞬間だったと思う。
また、その言い方もフランクかつ陽気で、デクに手を貸してほしいと頼みつつも弟子に不安を与えない頼み方で、ここでも師匠としての務めは忘れていなかった。「今の私はほんの少しだけ困っている」という頼み方は、『救けを求める人』としても『師匠』としても100点満点の回答だったと思う。
原作の話になるが、AFOは死柄木からの頼みに応えることはあっても、自分から死柄木を頼ることは1度もなく彼のもとを離れた。この2組の師弟の違いは、後々大きな差となって表れてくると思う。
メリッサ
現在判明している無個性のネームドは彼女の他には初代OFAとナックルダスターだけで、唯一のデクと同年代の無個性の少女として、ヒロアカの世界における無個性の可能性を示してくれたキャラクターだった。
原作ではまだ手の届いてないところを先に描いて、ヒロアカの世界観をさらに広げてくれたような感覚。
デヴィットとのやり取りからは、無個性であっても親から真っ当に愛されて育てられれば、拗らせることなく良い子に育つということがよく伝わった。これは引子さんに育てられたデクにも同じことが言える。
ここは週刊少年ジャンプ2018年35号に掲載された『きっと誰もが誰かのヒーロー』で、幼少期のメリッサを事前に知っておいた方がより深く実感できると思う。
また、直接描かれたわけではないのではっきりとは言えないが、周囲からいじめられていた様子もなく、無個性全員が無個性というだけで日常的に理不尽な目に遭っているわけではないと判ったのも安心できた。ここは無個性を理由に爆豪とその取り巻きに馬鹿にされていたデクとは異なる部分だ。
オリジナルキャラクターにも関わらずヒロアカという作品に馴染んでいて、原作に登場しても歓迎できるキャラクターになっていた。次は今回行動を伴にできなかった他のA組の生徒たちとも会話してる姿を見てみたい。
デヴィット
デヴィットの造り出した"個性"増幅装置の効果は凄まじくて、正直これは各国政府も研究を取り止めにしようとするわ…と納得できてしまう程だった。だからこそデヴィットはこれがオールマイトのためになると考えたんだろうが。
自分の目標のために研究を重ねていたという点ではオーバーホールを思い出すが、やろうとしていたことは"個性"を増幅させるとむしろ真逆で、ここはヒーロー社会を継続させようとした者と壊そうとした者の対称性がよく表れていた。
しかしウォルフラムを倒したデクに若かりし頃のオールマイトの姿を見たのは、自分の措置は現状維持に過ぎないと認めるには充分な理由で、またそれがそのままオールマイトの後継者としてのデクを認める流れになっていたのも素晴らしかった。
ここに至るまでに彼がOFAのことを知るという過程がなく、デクの知らないところでデクのことを認めるという形になったのは、前述の通り勢いを削ぐことのないスムーズな進行で良かったと思う。
ウォルフラムに手を貸したとはいえ、デヴィットは彼らが本気で他人を傷つけるとは思っておらず、その作戦自体も助手のサムからの提案という形にすることで、最後に視聴者が許せるレベルの罪に留めてくれたのも良いバランス。罪を償った後、彼もまたメリッサと同様に別の機会に再登場してほしくなった。
爆豪
他の雄英生が誰かの同伴や代理、バイトとして訪れる中コイツだけ体育祭優勝者として招待されてるあたりやっぱり扱いが違うなと(作中でもメタ的な意味でも)。
ヴィランアタックの後、手すりに摑まりながらデクを威嚇する姿は完全に動物園の猿で笑ってしまった。
今回のメインは轟との共闘で、会話の内容は体育祭決勝の舐めプで溝がまだある時期としては適切な近すぎず遠すぎずな距離感。
だが爆豪の汗に付着させ轟の炎で引火するというコンビネーションは鮮やかで、互いの"個性"の特性を活かしていた良い共闘だった。
この汗を自分の手元から離れた部分で爆発させる戦法は、期末試験のデクに篭手を預ける作戦から得た発想とも思えて、嫌いな轟と協力したのも最も嫌いな幼馴染との共闘に比べればマシと思ってのものだと納得した(ただその後「本当は俺1人で倒せたがオールマイトのために~」的な台詞は欲しかったが)。
警備マシンに襲われそうになってるお茶子を無自覚に救けたシーンは、USJで黒霧に爆撃を喰らわせたところを思い出した。頼もしさという一点では最後のデクとオールマイトを除けばやはり彼が1番で、この辺はその性格のクソ煮込みさが良い方向に働いている部分だと思う。
デクとオールマイトがウォルフラムにトドメを喰らわせるシーンで「ぶちかませぇっっ!!」と叫んでたのは、デクにではなくオールマイトを応援していたのだと納得できた。
お茶子
デクには爆豪に張り合ってほしいと思ってる身としては、デクが爆豪のマウントを受け流しそうとした時に「やってみなきゃわからないんじゃないかな」と言ったのは、よくぞ言ってくれた!という気持ちになれた。
セントラルタワーでは最上階に向かうデクの決意を後押ししたり、飯田たちを気にするデクの意識を進むことに意識を取り戻させたり、全体的にデクを精神的にサポートすることが多かった印象。
特に良かったのはデクとメリッサを浮かせて上に行かせるシーンで、初登場時には嫉妬にも思える表情をしていたのに、ここではメリッサがデクに思いっきり抱き着いても全くそんな感情を見せることなく自分の役目を果たそうとする姿に胸を打たれた。
警備マシンに1人で立ち向かおうとする姿は体育祭の爆豪戦を思い出す勇姿で、その爆豪が彼女の窮地を救ったのは感慨深いものがあった。
飯田
委員長として冷静な判断でデクたちを率いてくれた。
神野の時と違い、①プロヒーローが動けない②I・アイランドはタルタロス並のセキュリティなので脱出も不可能と、デクたちが動かなければ事態が好転しないことは明らかだったので、爆豪奪還に強く反対した彼が今回は皆に賛成したのも納得できた。
轟
今回は爆豪との共闘がメインで、前述の爆豪の汗を利用した連携はもちろん、爆豪が方向転換させたプロペラの風を炎熱で強めるシーンなど、今まで封じていた炎熱がここぞという時に仲間の救けとなっていたのはとても良かった。
また氷結の方も氷の壁を作って敵の攻撃から切島を庇う、デクたちを氷の足場で上方に向かわせるなど、攻撃以外の活用法が見れて改めてその使い勝手の良さを知れた。
特に氷の足場でデクたちを上方に向かわせるシーンは、ハガレンの終盤で錬金術師たちが地面を変形させて地下から地上へ向かう場面を思い出した。
ウォルフラムが倒された後爆豪に微笑む表情を見せてくれたのは、自分が爆豪に嫌われていても轟の方は爆豪のことを嫌いなわけではないことを再確認できるシーンで、2人がこれから距離を縮める前振りとしてとても良い描写だったと思う。
八百万
飯田と同じくクラスの委員長として他の生徒を率いてくれた。最上階に向かう中で迷う様子が少なかったのは期末試験での轟との経験が活きていて成長が感じられた。
各所であらゆる道具を創造で作ってくれて、改めてその"個性"の万能さを実感できた。
切島
爆豪の正装を用意してくるなど爆豪の世話焼き係として役割が多くて、全体的に原作よりも爆豪との距離が近くなっていた印象。爆豪の方も戦闘後に「あんがとよ」と礼を言うなど、切島に対する態度がいつもより柔らかくなっていた。
爆豪と轟の共闘を描くために他の仲間に比べると戦闘シーンが少なくて、特に最初向かってくる敵の攻撃に対して動きを取れなかったのは、彼の中3時にできた"動けない"コンプレックスが刺激されてしまったのではないかと心配してしまった。
峰田
外壁をもぎもぎで登っていくシーンはギャグとして描かれていたが、その危険さを考えれば本当にハーレムくらいのご褒美はあってもいい仕事だったと思う。
ここはモテたいという一見不純な動機でも、リスクを背負えるのであればそれはヒーローを目指すには充分立派な動機であることを再び実感できた。
また、他の雄英生が次々と最上階を目指す決意をして行動に移していた中で、1人だけ思いっきり恐怖を示していた彼の反応は、一般的な感性の視聴者にとっては共感できる存在になっていたと思う。
他が生徒が決意をするシーンはカッコよかったがある意味では遠い存在に感じられるシーンでもあったため、ヒーロー志望でも思いっきり怖がっていた峰田の存在は視聴者としては有り難かった。
上鳴
外壁を登ることに抵抗を示す峰田をハーレムで唆すシーンでは、彼との仲の良さを伺えて良かった。また、峰田の方も「上鳴を返せ!」と言うなど、普段はあまり聞けない台詞を聞けたのは嬉しかった。
耳郎
お茶子の肩に腕を乗せたり、お茶子に「響香ちゃん」と呼ばれたり(原作では「耳郎ちゃん」)と、お茶子との距離が原作と比べて近くなっていた印象。
彼女が雄英生の中で1番最初に救けに行く案を言い出したのは正直かなり意外だった。原作のイメージだと耳郎はこういう状況の場合、最初は抵抗を示した後、皆が賛成するのを見てそれなら自分もと賛成する印象だった。
"個性"の使用ではオールマイトからのメッセージを聞いたり、向かう先に敵がいないか探るなど、やはりスニーク活動に秀でた"個性"という印象がさらに強まった。女子の中で彼女が今回の参戦メンバーの1人に選ばれたのも納得できる。
ウォルフラム
金属を操る"個性"はオーバーホールの分解・修復を思い出した。オールマイトを複数の四角形の物体で挟んだ後、槍のようなもので貫くシーンは絶望感が凄まじくて、ここは原作で今も生きていることを知っている筈なのに、一瞬死を意識されられる程だった。
元から持っていた金属操作の他に、様々な"個性"をAFOに与えられていたのは、同じく様々な"個性"を組み合わせて作られたハイエンドを思い出した。そういう意味では、彼もまたAFOに良いように使われた被害者なのだろう。
オールマイトの親友を悪に手を染めさせたいというAFOの動機は、ここでも原作の「君が嫌がることをずぅっと考えてた」が徹底されてい良かったと思う。
まとめ
劇場版ということで特別な舞台を用意し、熱量のある展開で満足させてくれて、ヒロアカという作品に相応しい映画だったと思う。
タイトルの『2人の英雄』はデクとオールマイト、デクとメリッサ、オールマイトとデヴィットなど色々な組み合わせが考えられるが、きっとこれに正解はないんだろう。視聴者の好きなように、登場したキャラクター同士の組み合わせを考えればいいということだと思う。
もし劇場版に次回作があるとすれば、今度は今回活躍のなかったA組の生徒たちが活躍するところが見たい。